柴田倭成 公式ホームページ 神仏の教えは記号<第1巻〜第10巻> 神仏の教えは記号<第11巻〜> 平成13年〜平成16年の著書 柴田倭成 公式ホームページ
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序文にかえて
阿耨多羅三藐三菩提道の記号
六波羅蜜行について
天津宣詞の太宣詞と天津法図の太法図
莫迦大乘仏教(偽の大乗仏教)と釈迦大乘仏教
仏陀(Buddha)
釈迦大乘はpanca-yana(五乘)なり
<カミ>と【KHA・身】と【迦微】と【上】
鳥無き里の蝙蝠
eka-dharma-laksana-vadin(仏陀)
satata-samitam deva-manusya-gati para-"ayana-WA-n"
一切諸法皆無有我。
仏陀が出現したならば,誰が困るであろうか?
覚然大公,物来順応
仏法と世俗の法
宗旨ガタマリは地獄に堕するの種子,祖師びいきは慧眼を瞎するの毒薬(慈雲尊者)
仏陀の異称(別称)
えせ(ニセ)の般若波羅蜜
仏陀とは梵音と梵輪を告げる人
<一二三>の神伝
宗論は釈迦の恥
大梵輪神の教えを仏陀の教えと云う
大仏陀の宣告(宣言)(Buddha-ava-ghosana)
中学生でもワカル話し
sad-dharma-laksana-prati-rupaka
甘露の門(a-mrta-dvara)(天神様の細道)仏門とは大梵輪神(三一神)の門
a-mrta-dhatu-dvara(神の世界の門)
入楞伽経について
dharma-laksana-vadinとdharma-laksana-uccheda-vadin
(仏陀の別称)(仏陀の異称)
loka-uttara-dharma-pratilambha-paramata
sad-dharma-laksana-pratiksepa-kala
maha-Brahama-cakara-deva-sam-skrta-visesa-laksana,"dharma-laksana"-abhi-sambuddha
依法不依人 依智不依識
依了義経,不依不了義経
玄奘訳・大般若波羅蜜多経
三蔵(tri-pitaka)について
大神言・密図教→眞言密教
結辞(総括)
【 朝に道を聞かば,夕に死すとも可なり 】
 これは申すまでもなく“孔子聖の言”なり。
 戦前の学校では,小学生でもこの言葉を知っていた。戦後の学校では,大学生でも知らない者が多い。まさに戦前の学校と戦後の学校では,その教育内容が,大きく異なっておる。

 この「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の一句で,これはまことの聖人の言と知れるのだ。
 聖人でなければ,この一句を発することは出来ない。
 人間は,道を聞く(信解する)ために生まれておる。人の生まれる目的(人生の目的),人が生きる目的(人生の目的)は,道を聞くため(道の信解のため)なのだ。
 人間として生まれ,道を聞かずに死するを犬死と申す。豚死,馬死,鹿死と申す。

 《論語》が伝来して,どれだけの年月がたったか。大陸から仏教の経文が伝来する以前に《論語》が伝来しておる。その間に,どれほど多くの論語学者(儒学者)が≪論語≫を講釈したか。だが,誰れ一人として< 道 >を開示宣説し得た者が居ない。

  < 道 >とは
なのだ。< 道 >と云う文字には
←これ以外の
意味はないのだ。
   『朝に
を聞かば,夕に死すとも可なり』
 
←これの説明を受けて,信解に至ったならば,もう,いつ死

んでもよい!と云う意味なのだ。

                 【釈迦大乘仏教と莫迦大乘仏教】
                 第二十四章【中学生でもワカル話し】より


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宗教
婆羅門経(仏教)
佛陀(仏陀)
釈尊,菩提樹下の成道
Rajya-kusuma-rupa-dharin
ashi-sthana-paramita
天命之謂性。率性之謂道。修道之謂教
五輪成身観
悟を得て,悟を開く
證を得て,證を開く
証を得て,証を開く
智を得て,智を開く
eso-teric-Buddhism
迦微
仏勅(仏陀の命令)
智(智の記号)を愛好する者
buddha-dharma
智の記号の供養・敬礼・思惟
五声(五音)の太宣詞(太言霊)
釈迦・莫迦
正法眼を蔵せざる者
如来(仏陀)の教えは智の記号(般若の梵画)
釈迦般若心経と莫迦般若心経
sarva-dharmah-sunyata-laksana
若以色見我,以音声求我,是人行邪道,不能見如来
十法行
結辞
附言
玄奘訳般若心経
中村元・紀野一義両博士による和訳
榊亮三郎博士による法隆寺梵文の修正品
 倭成は42才の時に,釈尊が菩提樹の下で得られたもの,それを得たのだ。だから“42才の成道”と申して来た。
 だが,世の人々は,この国に仏陀が現れることを快く思わないらしい。しかも,倭成に会うこともせずに,倭成は仏陀ではない!
と云う。しかも,その者は,“仏陀とは何か?”に答えられもしないのだ。
 “仏陀とは何か”に答えられないものが,“倭成は仏陀ではない!”とは,気狂いのタワゴトだ。
 倭成は仏陀ではない!と云う者たちよ。倭成の前に来て“仏陀ではない!”と云うがよい。
  あなたが,倭成を“仏陀ではない!”と云うからには,あなたは,釈尊が菩提樹の下で得られたものを知っておらねばならない。
  そのことを心得た上で,倭成が,それと同じものを得ていないのであれば,“倭成は仏陀にあらず”と云い得よう。

 ワカリヤスク申す。 <1+2=3> が正しいと知っておる者が,
<1+2=5> と答えた者に <×> をつけるのだ。<1+2=?>の人が,<1+2=5> にどうして<×>をつけることが出来よう。
 倭成は学者ではない。仏陀なのだ。<ワカッタ者> なのだ。
 <ワカッタ者>(仏陀)が,我れは<ワカッタ者>(仏陀)と申してどこが悪かろう。魚屋が魚屋と云って,何故ワルイか。八百屋が八百屋と云って何が悪かろう。男が,我れは男子なりと云って,どうして悪かろう。女が,私は女子と云って何が悪かろう。

 悪いのは,<ワカラナイ者> が <ワカッタ顔>をして,<ワカラナイコト>を<ワカラナイ人々> に,<ワカラセナイヨウに説くこと> ではないのか。
 倭成は,この <ワカッタ顔> をしておる者たちを多く見てきた。
この者たちが,世の人々をアザムイテオルことを知っておる。

 では,倭成が,仏陀の資格において,釈尊が菩提樹の下で得られたもの,おわかりになられたものを教えよう。

                  【釈迦般若心経と莫迦般若心経】 
                      第三章 【佛陀(仏陀)】より


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三世諸仏の通称を,< tri‐vidha-skandha-patha >
と申す。梵和大辞典p.559にあり。大辞典には <vidha>が欠落して
おるが,p.558には <tri-vidha>(三種の)がある。
 すなわち,三世諸仏(過去の仏陀,現代の仏陀,未来の仏陀)に
は,< 三種にて成る神器 > の開示宣説者 と云う共通の称

がつけられたのだ。学ばずして< 三種にてなる神器 >(内璽)を知り,
学ばずして開示宣説する者,この者をこそまことの仏陀と申すなり。
 まことの神道,まことの仏教,まことのキリスト教,まことの儒教,
まことの道教,まことの哲学に差異あることなし。ニセ神道,ニセ仏教,ニセキリスト教,ニセ儒教,ニセ道教,ニセ哲学を対比するから差異がでるのだ。
 万教帰一! を叫ぶ者は多いが,帰一すべき唯一のものを提示して
叫ぶがよい。
 倭成は帰一すべき,唯一のものを提示して,万教帰一を叫ぶ者なり。
それは【天津宣詞の太宣詞と天津法図の太法図】なり。
如来の 左右の手印これなり。
 < ニセモノ > を < ホンモノ > と思い込まされている人々があわれでならない。< ニセモノ >をつかまされて,それが< ニセモノ >と気
づかずに,懸命になっておる人々が,あわれでならない。
< ホンモノ >と信じ込まされた者に対して,それは< ニセモノ >です, と云えば立腹する。< 莫迦者 >! この< 莫迦 >の二字にあては
まる者が,馬鹿者なのだ。世人は< 莫迦 >の二字も心得ず,< 馬・
鹿 >の二字も心得ないのだ。
< 莫迦 >と< 釈迦 >の差は,< 莫 >と< 釈 >の差なのだ。

                 【梵音(佛説)般若心経】 序文P.15より

     
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