【 朝に道を聞かば,夕に死すとも可なり 】
これは申すまでもなく“孔子聖の言”なり。
戦前の学校では,小学生でもこの言葉を知っていた。戦後の学校では,大学生でも知らない者が多い。まさに戦前の学校と戦後の学校では,その教育内容が,大きく異なっておる。
この「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の一句で,これはまことの聖人の言と知れるのだ。
聖人でなければ,この一句を発することは出来ない。
人間は,道を聞く(信解する)ために生まれておる。人の生まれる目的(人生の目的),人が生きる目的(人生の目的)は,道を聞くため(道の信解のため)なのだ。
人間として生まれ,道を聞かずに死するを犬死と申す。豚死,馬死,鹿死と申す。
《論語》が伝来して,どれだけの年月がたったか。大陸から仏教の経文が伝来する以前に《論語》が伝来しておる。その間に,どれほど多くの論語学者(儒学者)が≪論語≫を講釈したか。だが,誰れ一人として<
道 >を開示宣説し得た者が居ない。 |