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   阿難(アナン)が釈尊にお尋ねした。  
   “世尊,どのようにするのが眞に仏陀を敬い,仏陀に報(ム  
  ク)いるみちでありますか”と。  
   世尊は答え給うた。  
   “私の諸の弟子,それは男でも女でも,法に住み,法を歩  
  み,何事となく法によってこそ,眞に私に奉(ツカエ),私を  
  敬う者である。  
   それ故に,阿難よ。私に順(シタガ)い,私に報いようと思  
 

う者は,必ずしも,香や華や伎楽(ウタ)をもって,しなくて

 
  もよい。よくこのことを心にかけて,勤めるがよい。これが,  
  すなわち,こよなき供養である”  
      《新訳仏教聖典》(木津無庵編・大法輪閣版)p.650より  
     
  ※阿難は釈尊近侍の阿難尊者にして,釈尊御入滅に立ち合  
    った。これは,釈尊の最後の言葉とされている。  
 
     
   倭成が,この通りに力説すれば,多くの人々から賞讃される。だ  
  が次のように力説すれば,多くの人に厭われる。  
     
   “世尊,どのようにするのが眞に仏陀を敬い,仏陀に報いること  
  になるのでありますか”  
   世尊(釈尊)はお答えになられた。  
   “私の諸々の弟子たち,それは男でも女でも,法(人の象に似た  
  る記号)に住みつき,法(人の象に似たる記号)を実践し,なにご  
  とにおいても,法(人の象に似たる記号)に依ってこそ,眞に,法  
  (人の象に似たる記号)を尊ぶことであり,私に奉(ツカエ),私を  
  敬うことである。  
   眞に,法(人の象に似たる記号)を尊ばない者は,私を尊ばない  
  者であり,私に奉(ツカエ)ない者であり,私を敬わない者である  
  (ニセの弟子である)。  
   だから,阿難よ。私に順(シタガ)い,私に報(ムク)いようと思  
  う者は,必ずしも,香(コウ)や華(ハナ)や伎楽(ウタ),その他の  
  ものを供える必要はないのだ。法(人の象に似たる記号)を供える  
  ことの無い供養を,私は決して喜ばない。よくこのことを心にかけ  
  て,勤めるがよい。法(人の象に似たる記号)の供養を,こよなき  
  供養というのである”  
     
   
   
   法(超世間法)(最高神の教え)は,人の象に似たる記号で説かれ  
  るのだ。  
   これは,よく知られた【依法,不依人】の御遺言である。<法  
  に依るべし,人に依らざれ>とよまれておる。  
   だが,これは【法の記号に依るべし,法の記号を知らざる人に依  
  らざれ】。  
     
   【自灯明(トウミョウ),法灯明】の御遺言はよく知られておる。  
  これは“法の記号を灯明とせよ。法の記号を得たる自分を灯明とせ  
  よ”なのだ。  
   仏陀のまことの弟子は,法の記号を唯一の灯明とす。法の記号を  
  唯一の灯明とせざる者は,仏陀の弟子とは申さず。  
     
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