柴田倭成 公式ホームページ
     
   この七字の出典は《新撰姓氏録表》である。  
 

 《新撰姓氏録》は,嵯峨(サガ)天皇の勅を奉じて,万多親王らが編集し,

 
  815年に奏進(三十巻)。  
 
とは<序文>のような意味である。
 
   倭成の門人から《新撰姓氏録表》が届けられた。そのなかに【叡  
  聖正名,叶五音】の七字が載っていた。  
   倭成は<叶(キョウ)五音>は誤りであり,正しくは<叫(キョウ)>であると  
  申す。倭成の責任において<叫>に改める。  
   【叡聖正名,叫五音】  
     
   <叡聖>とは,大聖人を尊んで云う。つまり【受命(ジュメイ)の天子】を  
  <叡聖>と申す。天子に<受命の天子>と<不受命の天子>が  
  あることを知る者が居るであろうか。  
     
 

 その【叡聖】(大聖人)(受命の天子)は,“名を正し” “五音を叫ぶ”

 
   名(メイ)を正し,五音を叫ばない叡聖(大聖人)(受命の天子)などは,  
  あり得ないこと。  
     
   【正名】を角川漢和中辞典は次のように説明しておる。  
   「名(メイ)を正すこと。大義名分を明らかにすること。」  
   《論語》の子路篇に次のようにある。  
     
   
     
   ワカリヤスクこれを説明しよう。  
   弟子の子路が,孔子聖に申し上げた。  
   「もし,衞の国の君主が,子(シ)(孔子聖)を受け入れて,政(マツリ  
  ゴト)を委ねたならば,子(孔子聖)はまさに,奚(ナニ)を先にな  
  されますか」と。  
   孔子聖は答えられた。  
   <必ずや,名(メイ)を正さん乎(カ)>と。  
     
   <政>(マツリゴト)を委ねられた者が,<政>と云う文字(名)の  
 

意味を知らずして,どうして<政治>を行うことが出来ようか。

 
   <名(メイ)>とは【文字】のことなり。  
   <名(メイ)>には<実>がある。  
   <実>を心得ずして<名>(文字)を用いることを,【有名無実】  
  と申す。  
   今日,<文字>を<名(メイ)>と云うことを知る者はほとんど居ない。  
   <文字>と<字>の区別が出来る先生はいないのだ。  
   <馬><鹿><犬><豚>は,文字ではなく<字>なのだ。  
  <漢文字>と<漢字>の区別が出来ない先生ばかりだ。  
 
 【文字源学】を略して<字源学>と申す。
漢文字の成り立ちと
 
  原義を研究する分野である。  
  だから,<馬><鹿><犬><豚>などの字は,研究対象にならないのだ。  
   <仁><義><禮><智><信>は文字なり。  
   <愛><神><光><悟><證><常><道><宗><御>  
  <元><始><兮(ケイ)><公><私><我><和><倭><文><圓>
  <吉><安><全><佛><完><巫><華><福><正><法>  
  <倫><素(ソ)><祚(ソ)><理><眞><経><善><儒>などは  
  <文字>なのだ。<政>も文字(名)なのだ。  
     
   <政>と云う文字(名)を正すことが,先なのだ。だから<政>  
  を委ねられたならば,まず<政>(名)を正すことが<為政>の  
  はじめなのだ。  
   <政>は<正>と<教>から成る。<攵>は<教>なのだ。  
 

<棒

 
  を手に持って指し示して教える>の意味。<指図(サシヅ)>がもとの意味  
  なのだ。  
   <正(セイ)>を<教えること>が,<政(セイ)>なのだ。  
   <正>は<ハジメ>と訓(ヨ)み,<カミ>と訓み<ノリ>と訓む。  
  <正月>は<ハジメの月>であって,<タダシイ月>ではない。  
   <ハジメ>の<カミ>の<ノリ>(宣詞(ノリコト))(法図(ノリト))。  
     
 
 
 
     
   <ハジメの神>を<一神(ハジメノカミ)>(最高神)と申す。  
   その最高神の<宣詞(ノリコト)>と<法図(ノリト)>を教えることが,<政事(マツリゴト)
  >なのだ。<為政>なのだ。  
   <為>に<ホドコス>の意味がある。<政>を為(ホドコ)す。  
   孔子聖は,政事を委ねられたならば,まず第一に政と云う文字  
  (名)を正す,と申されたのだ。  
     
   叡聖(大聖人)(受命の天子)は<名>(文字)を正す。  
   名(文字)には実(種子(タネ))がある。  
   実(タネ)から多くの花(名=文字)ができる。  
     
 
  【文字源】
 

     【文字源】(多くの文字を生み出す種子(タネ)

             (名(メイ)の実(ジツ)
 
     
   支那字源学の祖は<許慎(キョシン)>と云われる。約二千年前の学者であ  
  る。その<許慎>も,<文字源>を知らなかった。倭成によって,  
  明らかにされたものである。  
   伝えによれば,<伏義皇(フツギコウ)は陰陽八卦(ケ)の図を描きて文字を作れり>
  とある。だが,その陰陽八卦の図は伝えられていない。倭成が示し  
  た上掲の<文字源>こそが,<陰陽八卦の図>なのだ。  
     
   <正>には<ハジメ>の<カミ>の<ノリ>の意味と,【五】  
  の意味がある。  
   その<五>は,【五大法身の図】(五大法身の記号)と,【五音】  
  (A・YA・NA・WA-n)を意味するのだ。  
   五大法身の記号を心得なければ,<文字>(名)を正すことは出来  
  ない。  
     
 
  【五大法身の図】
 

        【五大法身の図】(五大法身の記号)

 
     
   叡聖(大聖人)(受命の天子)は,必ず<五音>を叫ぶ。  
   <A><YA><NA><WA-n>!と獅子吼する。  
  この<五音>を,最高神の大号と申す。  
 
その<大号>を表わした<記>を【記号】と申す。
世の人々
 
  は,学者を含めて,【記号】の意味すら知らないのだ。  
   <大号の裏づけある記(シルシ)>を【記号】と申す。  
     
   <文>(ブン)(モン)を<A・YA>と和訓するのは,<A><YA>  
  <NA><WA-n>から来ておるのだ。  
   仮字(カナ),眞字(マナ)と云うように,<字>を<NA>と云う。  
   
   つまり,文字は<A><YA><NA><WA-n>の太法図から作ら  
  れたものなのだ。  
   【文明人】とは<A><YA><NA><WA-n>に明らかな人。  
 

 【文化人】とは<A><YA><NA><WA-n>を教化する人。

 
   文明人でなければ,文化人とはなり得ない。  
     
   
   “A・YA-vala”を,愚かな指導者・外見ばかりでなかみのない指  
  導者たちに学ばしめよ!と。  
     
 
 
 
     
   ※<vala>に<円環>と<波状円環>の意味がある。右の  
     記号は<波状円環>である。  
     
   
   
 
叡聖(大聖人)(受命の天子)は最高神に
 
  直属,直結した存在なのだ。最高神に代わって,獅子吼するのだ。  
     
   この<最高神>を<天祖(テンソ)(アマツミオヤ)と申し,天照大御神  
  を<皇祖(コウソ)(スメミオヤ)と申しあげる。  
   だから,<天照大御神>は最高神ではない。  
   <最高神>(天祖)の教えの<中興(チュウコウ)の祖神>であられる。  
   <最高神>(天祖)に直結・直属せる神であられる。  
     
   天照大御神の教えに【ヒフミの伝(ツタエ)】(ヒフミの神伝)がある。  
     
 
 
 
     
   【ヒフミの神伝】には,次の意味がある。  
   
     
 
 
     【六大法身の図】
 
     
   
     
   
     
   これは天照大御神の大神勅なのだ。  
   無罪の者でなければ,高天原(彼岸)(天国)に迎え入れられない  
  のは当然のことなり。  
     
   “叡聖は名(文字)を正し,五音を叫ぶ”  
   “五音を叫ぶ”とは“五音を教える”の意味なり。  
   だから“叡聖正名,五音の教”となる。  
     
   と云うことは,【天津法図の太法図】をもって,文字(名)を正  
 

し,【天津宣詞の太宣詞(太言霊)】を教える者を<叡聖>(大聖人)

 
  (受命の天子)と云うことなのだ。  
   これだけが,叡聖の資格条件なのだ。倭成はその資格条件をみた  
  した者と知れるではないか。  
     
   この<叡聖>が世に現われたならば,他(ホカ)の事柄をもって非難し  
  てはならない。これが【修証義の要(カナメ)】に述べられてあるのだ。  
     
   天に向かって唾(ツバ)を吐けば,その唾は天に届かずして,オノレの面
  (ツラ)にかかる。そのように叡聖を非難せば,そのトガメは,必ず,その  
  者にくだされる。  
     
   刑に執行猶予(シッコウユウヨ)期間があるように,殃(ワザワイ)(神仏がくだす罰を  
  (オウ)と云う)にも,猶予期間がある。  
   猶予期間が来ないあいだに,心から悔い改めるがよい。  
     
   倭成をみよ。  
   42才の成道の時から今日まで,ただ,ひたすらに<太法図と太  
  言霊>の開示宣説をして来た。倭成は生あるかぎり説き続ける。  
  これだけに生きておるのだ。  
   世に大事業と云う言葉があるが,<太法図と太言霊>を説くこと  
  以上の大事業はない。これを【大聖業】と申す。  
   この【大聖業】に直接にか,間接にか,その一端を担(ニナ)う者たちの  
  弥栄(イヤサカ)を祈る。  
     
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